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生活観

ここでは、「 生活観」 に関する記事を紹介しています。

引っ越し完了
土間壁塗り、大テーブルづくり、まだまだ家づくりは終わらない

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設計士北村さんの設計事務所自然道建築研究所


建築に向けて現金掻き集め作業も終盤戦
昨日全部の持ち株を売りさばいた。
もうしばらくは持っていても良かったのだけれど、丁度新年度にもなったことだし、
“売っちまえ"とばかりにキレイさっぱり売っちゃった。

思えば株でいろいろな経験をさせてもらった。
どんどん、どんどん株価が下がり続け永遠に上がらないのでは無いかと思ったこともあったなぁ
(2003年頃)
毎週10万円程度上がり続け、毎月がボーナス月みたいなウハウハの時期もあったなぁ
(2005年前半)
その夢をもう一度とばかりに、2008年ぐらいまでは株価は上がるだろうという、
根拠の無い発想で最後の勝負に出たが、結局-120万ぐらいになって損切りして、
私の株式体験は終了することになった。(損切りするのはツライ・・・)

株式投資最初の頃(2000年)は、株に関する本を読みあさり、
割安な銘柄を買い長期保有の作戦であった。
基本的に最後までこの作戦ではあったのだが、最後の方になってくると、
“割安や割高なんてイメージでしか無く、確固たる基準なんて存在しない単なるマネーゲームなのではないか?"と感じるようになってきて、何時かは株から足を洗おうと考えるようになった。

右肩上がりの幻想を抱いて株式投資をしてきたが、もう右肩上がりなんてあり得ないのではないだろうか、中国特需ももう終わりだろうし、市場原理資本主義もこれだけ市民、社員を痛めつけてしまっては、もうダメだろう。そう確信してしまった。

さよなら、株さんもう フォーエヴァー



家をつくるにあたって、株、外貨預金の現金化作業真っ最中

今回のターゲットは外貨預金、ソニーバンクで外貨預金を運用していた。
なぜソニーバンクなのかは、良く思い出せないが手数料が安かったのかな、
もしくはその頃ソニーが飛ぶ鳥を落とす勢いだったからかもしれない、
今では見る影もないが・・・

運用開始が03年今と比べると

     03年  → 07年
1ドル =107円 → 120円
1ユーロ=133円 → 157円
1豪ドル=79円  →  93円

もれなく2割弱の円安、世界に対して2割沈んだのか
結果として当初の250万から320万になっていた。
(これは上手く運用したと言うのだろうか??)

根本的にはニッポンの価値(円)が沈んで(円安)利益が出る外貨預金の考え方は
好きではないのだ。
株の信用売り(形式上、先に売って、後で買うので株価が値下がりするほど利益が出る)なども
同じで株が下がった下がったと皆が悲観的になっているときに、一人でほくそ笑む感じが好きで
なかった。(だから信用取引はしなかった。)

それでもリスク分散と思って外貨を買っていた。
そう言う意味では成功なのか?

何はともあれ外貨預金は全額解約、さよならソニーバンク、永遠なれ!!

家族で本屋に行ったら、何となくこの本 ↓ が目にとまる。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=08249715

江原啓之さんの本
気になったので、江原教信者?の奥さんに買わせる。
内容的にはまだ半分しか読んでいないので何とも言えないが、
鈴木秀子さん(この人は臨死体験界?((そんなものあるのか))では有名らしい)
との対談など、生とは死とはを正面から語っていて、結構面白く読ましてもらっている。

この中で江原さんが何度も書いていたことが、頭から離れない。
(心をとらえたと言うよりはフレーズが好きになった。)

“いろいろな物事をするにあたり、どれだけ時間をかけただとか、どれだけお金をかけただとかは
問題ではない、どれだけそれに心をこめてやったかが重要"

“生きることもつまりは同じで、どれだけこめたか、
それによりその命が輝くか輝かないかが決まる"
そういった内容が何度も何度も、それこそくどいほどに出てきた。

このおっさん(いや失礼!)、今年はこれを流行らそうとしているのではないか?と
思えるぐらいの熱の入れようであった。

ご丁寧にCDまで付いていたが、そこでも耳についたのは、“心をこめる"であった。
完全に確信犯だ!!

しかし何か異様にフレーズが気に入ってしまった。
“いかに、心をこ・め・た・か"
“どれだけ、心をこ・め・た・か"

はーい、みなさんご一緒に
“いかに、心をこ・め・た・か"

Let's speak English!!
“kokorowo KO・ME・TA・ka"

ローマ字なだけか (^_^;
一年家計簿といっても一年に一度はまとめないといけないので、
ざっくりと集計をしている。(アバウトですが)

今年は、株で凹(マイナス200万)んで、給料(プラス150万)で上がった感じか
給料で上がったといっても、単純に残業と休日出勤
(一ヶ月で20時間up*3000円といったところか)で増えただけなので、
全く褒められたものではない。
残業代なんて通常の単価の1.3なんてせこいことは言わず、2.5ぐらいにすればいいんだ、
もっと人を雇えと言いたい。過労死も減る。
それで企業がつぶれたらそれまでだ、永遠なんて無いんだから。 諸行無常 
人を潰し、企業が生き残るという構図が許せない。(単なる愚痴か)

そんな事より、今年は株がどえらく下がった、ライブドアショックか何か知らないが、
ジャスダックなどの小型株はおおかた下がった感じ、東証一部などはそれほどでもないが。

何度かこのブログでも書いているが、長期的には株式投資から足を洗いたいと、
前から思っているので、今年は売りに徹していた。(たぶんもう買うことはないだろう。)

うまく逃げ切れなかったかな、去年が上がり過ぎただけという感じもするし。
いいときもあれば、悪いときもある。
ケセラセラか。

いつの頃からか1ヶ月単位で家計簿をつけることを止めている
止める前までは、収入=いくら、食費=いくら、光熱費=いくらと項目別にちゃんとまとめていた。
日々の生活費の集計を奥さんがやって、そのまとめを私がやっていた。

買い物の度のレシートをこれは食費、備品費、子供費とかに分けて仕分けするのも結構たいへん、
まとめをパソコンに打ち込むのもなにか面倒であった。

そんな事を結婚当初から続けていたが、ある時(たぶん2、3年前からか?)ふと、
こんなに手間暇かけて集計することの意味が感じられなくなった。

先月の食費が5万円で今月6万円だったとして、それが判って何だというんだ、
“使いすぎましたネ、無駄使いはやめましょう"とでも反省すればいいのか。
好きで使いすぎる訳では無い、日々の生活の中でベストの判断だと思って使っているのを、
後でまとめてみることへの素朴な疑問が生まれてきた。

サラ金から借りてまで、浪費している訳ではない。
なんとなく回っていればいいんじゃないか
こんな思いが強くなった。(たぶん本当にお金に困ったことが無いので、
こんなに気楽なのだとは判っているが、困ったときはその時考える、
心配性になったってしょうがない)

今は給料が振り込まれる口座だけをだいたい管理している。結構アバウト

一ヶ月家計簿→二ヶ月家計簿→半年家計簿→1年家計簿→10年家計簿
段階的に進んで来たが、今は一年家計簿ぐらいがちょうどいいと思っている。

アバウト人生花盛り!!

風邪も無事抜けていき、体調もグッと良くなった
(たぶん本当は単なる風邪ではなく、なんとかウイルスとかだったと思う)

ここ2、3年はほとんど薬を飲まなくなった。
その昔は、風邪のひきはじめには葛根湯、ひいてしまったらルルでもベンザでも
なんでもかんでも、飲んでそれこそ必死に治そうと薬を飲んでいた。
飲んだらだいたい1週間(5〜7日)で治っていた。

一時期、別に薬を飲んでも飲まなくても一緒ではないかと疑問がわき、薬を飲まないでおくと
ほぼ一週間で治った。なぁんだ何もしなくてもほとんど(変わっても1日程度か)変わらないんだと思うようになってから薬を飲むのがバカらしくなって、飲まなくなった。

病気が悪で、健康が善みたいな事を思わなくなったことも大きな原因かもしれない、
誰だって病気になる(風邪などはひいて悪いことだけではない。
この本の影響が大きいかな 野口晴哉著 風邪の効用)
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31089704
病気にも意味がある

今回の下痢・嘔吐も
・少し休め
・いらないのも(宿便など)を排出せよ
との天からの指令かもしれない

普通人が生きていると、洗面器一杯分の宿便(お腹の中に溜まった便)があるとの話を聞いた事がある。定期的にはそれを掃除するのが良いそうで、断食もその一環か(もちろんそれだけでは、
ないと思うが。)
今回は実際に金曜日はあまり食事を採らなかった。(採れなかったと言うべきか、医者はポカリスエットだけを飲めと言うし)あれだけ下痢をすれば宿便も減ったであろう。プチ断食!!

掃除して→使って→汚れて→掃除して
この循環の繰り返し

だから私は病気になっても、薬は基本的に飲まないし(今回も医者には行ったが、結局もらった薬は飲まなかった、基本的に効かないと思っている)直ぐに会社も休むのです。(それが結果的には最善の策だと思っている。)

私の病気観はこんなところか。
でも奥さんは子供たちが病気になるとバンバン医者に行くし、ゴソゴソと薬を飲ませている。
それでも一向にかまわない。
子供たちが大人になり自分で判断できる時期になれば判断すればいいことだ
そこまで自分の考えを押しつけはしないのである。
こんな所で夫婦の価値観が違ったりする。それはそれで面白かったりする